(2020.8.3 updated)
Category: Text
Client:
Date:
前川知大
二・百瀬由香里の豆蔵レポート
豆蔵さんはいわゆるホームレス、路上生活者です。
いわゆると付けたのは、やはりただ「ホームレス」と言うには少し違うような気がするのです。
路上生活者は言葉のイメージと違って、日々路上をさまよっているわけではありません。
それぞれに居場所を持っている。寝床です。
寝床はやはり決まった場所が落ち着くもので、各々気に入った場所を自分の寝床としているわけです。
もしあなたが今日、住処を失ったとしたら、まず考えることはなんでしょう。
「今夜どこで寝ようか」。
そう、まずは寝床です。
人間には落ち着いて一息つける場所が必要なのです。
ただしそこは路上、近隣住民や町役場の職員、警察、時には野生動物に追い出されることもある。
だから彼らは常に、いくつかのお気に入りの場所を持っています。
そういうわけで、もし路上生活者のAさん、あるいはBさんに会いたければ、大体の目星は付くものです。
でも豆蔵さんには、ここという場所が無い。
よく見かけるのは目玉公園(大きな目のオブジェがある公園、正式には灰塚緑地公園)ですが、そこで寝起きしている様子はない。
豆蔵さんは金輪町で有名なホームレスですが、未だに彼の寝床を見た人はいないのです。
そういう意味では、言葉通りにホームレスと言っていいかもしれません。
彼の生態の多くは謎に包まれています。
有名なホームレスと言いましたが、もちろん町の名士というわけではありません。
それは町役場の職員や福祉関係者の間での話。
彼は社会運動の先頭に立って行動するようなリーダーではないけど、この町の路上生活者や不法滞在の外国人、生活に困窮した人たちの中でハブのような役割を果たしている。
「困ったら豆蔵さんに相談しろ」というわけです。
なので福祉事務所も私たちのようなNPOも、豆蔵さんは無視できない存在です。
支援を必要としている人を、支援者や福祉と結びつけることが重要。
路上生活者の誰もが親しみを込めて口にする「豆蔵さん」という人物が、この町の福祉にとってキーパーソンであることは明らかです。
ただ問題は、豆蔵さんを捕まえるのは、とても困難ということです。
遭遇率はとても低く、町をシラミ潰しに探しても徒労に終わることがほとんど。
どういうわけか、こちらが会いたい時には会えず、探していない時に見かけるというケースが多いのです。
車で信号待ちをしていると目の前の横断歩道を悠々と歩いていったり、約束に遅刻するまいと走っていると反対側の歩道でぼんやりと空を見上げていたり。
そんな具合に、ちょうど話す暇が無い時に限ってふらりと視界に入ってくる。
ただ遭遇率には個人差があるようで、毎週見かけるという人もいれば、ツチノコレベルと言って存在自体を疑う人もいる。
福祉事務所のベテラン職員Kさんとお茶をする機会があって、その時彼女に、実は一度も会ったことがないと涙ながらに告白されたことが印象的でした。
そして私はというと、どういうわけか豆蔵さんと遭遇する機会が多い。
理由は分かりません。いささか不本意ですが、私がこのボランティアに関わるようになって一番褒められたのはこれでした。
今では「豆蔵キャッチャー」なんて呼ばれています。
それでも自分のポジションがあるのは嬉しいもので、知識も経験も無いままなんとなく始めたこの活動も、少しずつやりがいを感じるようになっています。
少し戻って、自分のことや、この活動に関わるようになった経緯から話していこうと思います。
私はこの金輪町で生まれ、両親と三人で暮らしています。
一昨年、県立高校を卒業して、隣の多聞市の小さな会社に就職することができました。
就職難の時代に運が良かったです。
こつこつやる派の私に事務職は向いていて、仕事は覚えるにつれて楽しくなっていきました。
しかし、次第に人間関係に悩むように。よくある話です。
アットホームな社風で、頻繁に飲み会のある会社でした。
そんな中、一回り年上の営業職Yさんに好意を寄せられ、何度も誘われるようになります。
一度だけ二人で食事に行きましたが、その後はのらりくらりと逃げ続け、なんとなく飲み会自体も参加しなくなっていきました。
いつの間にかYさんも声をかけてこなくなり、諦めてくれたとほっとしていたら、なんと裏でせっせと私の変な噂を流しているのでした。
社内メールでそれを発見した時は心臓が止まるかと思いました。
死人の冷たい手で心臓を鷲づかみにされたような、そんな感じです。
子供じみた、くだらない噂です。もちろん根も葉もない。
驚いたのは、上司や同僚たちがYさんの言うことを真に受けている様だったことです。
弁明すればよかったのです。
でも半年前まで高校生だった私は、大人たちに物言う勇気も言葉もなく、ただ立ち尽くすだけで、次第に孤立していきました。
社会人になって大人の仲間入りをしたように思っていましたが、違いました。
会社も学校と変わりません。大人も子供と同じ。
私は体調を崩しました。
それでもやるべき仕事はあったので黙々と出社を続け、なんとか年末の仕事納め。
カレンダーのお陰でクリスマスからの十連休に救われる思いでした。
暮れで賑わう地元の商店街を母と一緒に歩いていると、「久しぶり」と声をかけられました。高校の同窓生Sさんです。
「明日、来れないの?」
そうだ。同窓会のメールが回ってきていたのに、迷ったまま返事を忘れていた。
「来てよー、絶対楽しいから」
Sさんに直接そう言われたら断ることはできません。
「行ってきなよ」と母も言う。
Sさんはかわいくて性格もいい人気者。友達というほど仲良くないし、遊んだこともなかったけど、直接誘われたことが嬉しかった。
なるほどこれがカースト上位者の力かと、思い知った次第です。
同窓会は、微妙でした。
くだけた立食パーティで、司会者がいるわけでもなく、最初に一回乾杯があっただけ。
照明は暗く、DJブースの背後に映し出される映像は当然母校と関係あるはずもなく、数人がフロアのような空間で海藻のように体を揺らしています。
DJをしているのはこれまた人気者のW君で、ブースの周りを取り巻きの男女が囲んでいる。
企画したのはきっと彼ら彼女らに違いない。この感じがやりたかったのだろうと思います。
幹事たちにホスピタリティは見当たらず、この感じにノレてる人とノレてない人が完全に分断されていました。
つまらなくはなかった、私は。
でもつまらなそうにしている人が結構いたのは事実です。
私も壁の花でほぼボッチだったけど、この微妙な空間を味わっていました。
気配を消すのは会社で慣れていたので、観察していたんです。
どこかのグループに入ろうとして不安そうにグラスを持って徘徊する人。
食べることに集中することで自分の居方を見つける人。
忙しそうにスマホの画面を操作して時間を前に進めようとする人。
この空間を自分の居場所にできない人は、自分が普通に見えるために必死でした。
ごく自然に楽しめている人は、空間と雰囲気に溶け込んでいきます。
全体の一部となり、ただの光景になっていく。
でも楽しめず、それでも空間と自分の存在の折り合いをつけようと必死に自分をチェックしている人は、その思いとは逆に強烈な違和感を持って全体から浮かび上がります。
フェアじゃないと思いました。
SさんやW君たちカースト上位者が幹事となって作りあげた空間は、全ての人に優しい空間とはなっていません。
「いつだって仕組みやルール、枠組みを作った連中が好い目をみる。一番強いんだ」
いつの間にか隣に立っていた二年の時のクラスメイト、橋本君が言いました。
「俺らにできるのは仕組みを理解して、その中で一生懸命やるだけ。受験だってそうだろ。でも本当に勝とうと思うなら、仕組みを作る側になることだよ。
企業が行政にすり寄っていくのだって、仕組みを自分たちに有利にするためじゃん。
そう思うと、あいつらはすごいなって思うんだよ。そういうのを生まれつき肌で分かってる、きっと。
ここにいる人の半分は、安くない会費を払わされて不利なゲームに参加させられてる。
見なよ。未だにゲームのルールさえ分からず、迷子の子供みたいに右往左往している。楽しみ方が分からないんだ」
橋本君の言い分はよく分かりました。
「クソゲーだって分かったら、やめちゃえばいいのに」
「俺もそう思う」
「でも帰んないんだ、橋本君は」
「ある意味面白いからね、この状況。なんだこの会っていう」
「分かる」と私は笑いました。
この空間に溶け込める人、浮いちゃう人、私と橋本君のような人はどっちなんだろう。
無理に居方を探してない分、溶け込んでいるように見えるかもしれないし、楽しみ方が分かってる人からすると、浮いてるように見えるのかもしれない。
楽しんだもん勝ち、なんてよく言うけど、楽しみ方は千差万別だし、そこに勝ち負けは関係ないだろって思う。
でも楽しみ方のコードのようなものは確かにあって、なんだかとても不自由な感じがします。
「居づらかったから助かった、橋本君が話しかけてくれて」
「そうなの? 百瀬さんの居方、なんかもう悟った感じだったよ」
「なにそれ」
「なんかもう、無って感じで」
はは……。今日だけで、橋本君とは三年間学校で話したトータル時間を超えたんじゃないかな。
連絡先を交換して別れました。二次会は当然パス。
彼は多聞市の郊外にある県内唯一の国立大学に自宅から通っています。
一人暮らしするには微妙な距離で、古い軽自動車を買って一時間かけて通学しているそうです。駅で会わないわけだ。
車、うらやましい。実は今、教習所に通っています。
翌日、橋本君から連絡が来ました。「夜回り」のお誘いでした。正直なんのことか分からず、一瞬いかがわしい遊びかと思った自分が恥ずかしい。
彼は路上生活者の自立支援をするNPOで活動をしていて、年末は忙しいから暇なら手伝ってと言われていたのでした。
夜回りとは、地域を巡って、路上生活者に声掛けして、様子を聞いていく活動です。
冬は路上生活者に厳しい季節です。体調を崩している人も多いし、中には凍死する人もいる。
危険な状態にある人には、福祉事務所に同行して一時的でも住居を得られるよう手続きをしたり、病院につれていったりする。
都会の多聞市ならまだしも、金輪町にそんなホームレスっていたっけ、と思う。
いるらしい。
「見ないようにしてるんだよ、無意識で」
と橋本君は言った。
でも私は何をすれば?
「二人組で行動するから、一緒にいてくれればいいんだ。何か特別なことをするわけじゃなくて、ただ声掛けして、世間話でいいんだよ。地元の人だと話も通じやすいし、女性の方が話しやすいって人もいる。百瀬さんちょうどいいと思って」
ちょうどいいのね。
こういうわけで私はこの活動に関わるようになりました。
私はこれまでボランティアや社会貢献に全く興味を持っていませんでした。
ホームレスも風景の一部としてしか見てなかったし、そこにどういう問題があるかなんて、想像もしなかった。
私は日中公園で寝ている彼らを自由でいいなぁと思いこそすれ、夜の寒さの過酷さや、場所によっては若者の襲撃に怯え睡眠どころじゃないことを知らなかった。
数百円の稼ぎにしかならないのに夜通し空き缶集めをしてヘトヘトなのを知らなかった。
じゃあちゃんとした仕事をしたらいいのにと思ったけど、住所を失った人に定職は難しく、よくて日雇い、それも無いから缶を集めていたりする。
住所を求めて福祉事務所に生活保護の申請に行くと、動けるなら自分で働いてくださいと断られる。
夜回りで話を聞いていくと、彼らは別に怠け者なんじゃなくて、仕事もしたいし、できればちゃんとした生活に戻りたいと思っている。
でも一度路上に出ると、後戻りがとても難しい。
それは彼らだけの責任じゃなくて、社会の仕組みがそうなっているから。
仕組みを作った人たちに、どうやら本気で路上生活者を助ける気がないのは、ちょっと聞いただけで素人の私でも分かりました。
路上に出るきっかけは色々あれど、多くは病気で仕事を続けることが困難になってと聞きます。
失職したことが生活の破綻に直結するほどギリギリの人が沢山いる。
そしてそれをサポートする仕組みもない。
両親ともに健康で仕事があり、実家住まいの私がどれだけ恵まれているか分かりました。
橋本君と一緒に夜回りをして、翌日はNPO「自立支援センター・ともし火」の人たちに混じって、大晦日の炊き出しの準備を手伝いました。
年末年始は日雇いの仕事もほぼ無く、寒さも厳しさを増す時期です。
毎年大晦日から三日まで、役所とも協力して、生活に困った人を助けるサロンとシェルターが合体したような「年越し助け合い広場」という場が設けられます。
町の緊急避難場所の一つに指定されている、かつて小学校だった建物が今年も会場となり、食べ物や古着、医療が無料で提供され、生活を立て直す相談もできる。
路上生活者には数日とはいえ、布団でぐっすりと眠れる夜を提供します。
なんとなく流れで当日の大晦日も手伝うことになり、来場者の案内をしました。
身寄りのない一人暮らしのお年寄りや子供を連れた母親、オーバーステイという足元を見られ劣悪な環境で働かされている外国人の集団もいる。
路上生活者の人は別の待合室に集められました。
のんびりとお正月を迎えることもできない人がこの町にこれだけいる。
私は驚き、途方に暮れました。
見ようとしなければ見えない人たち。あるいは見えないようにされている人たちなのかもしれません。
バザーのように賑やかなのかと思ったら静かなもので、笑い声はほとんど聞こえません。
みな疲れているのです。
体育館のサイズに比べて暖房が足りなく、コートを脱ぐ人はいません。
「明日も来れる?」
とNPO代表の川端さんが冷たくなったホットレモンをすすりながら言いました。
明日って元旦ですけど。
「……はい」
「ありがとう、助かるよ」
これが彼らの正月なのだ。
私はなんでここにいるんだろう。
正直に言います。
橋本君から夜回りに誘われた時、私に気があるのかな、と思わなかったと言えば嘘になります。
出かける前、夜回りにこの格好はありなのかと、鏡の前で散々迷ったことも白状します。
もう一度会いたいだけで、夜回りは口実、という淡い期待は、夜回り前の全体ミーティングのガチ感で跡形もなく吹き飛びました。
実際、翌日の炊き出し準備の日から、橋本君は私を全く特別扱いしませんでした。
それどころか、ほぼ放置です。
さすがに、なんやねん、と思います。
別に彼に気があったわけではありません。本当に。負け惜しみでもなんでもなく。ただ人としてどうかなと思うだけで。
一回夜回りを体験してみる、だけで終わるはずだったのに、続けることになったのはあくまで自分の意思です。
橋本君は弱者に厳しい今の社会と制度に怒っていたけど、そういうものに感化されたわけではありません。
それに私には貧困問題を見渡せるだけの知識もありませんでした。
ただ、今まで見えなかったものが見えてくるような、自分の生活圏の外に出る感覚が刺激的だったのです。
家族での初詣、友達との新年会、録り溜めたドラマの消費、三が日の予定はすべてキャンセルしました。
元旦の朝、ノーメイクで寝癖の上にニット帽、連日の作業で少し臭うダウンジャケットを羽織り、玄関で汚れたスニーカーに足を突っ込むと、母が後ろから心配そうに言いました。
「あんた大丈夫? その……騙されてない?」
私は一瞬きょとんとして、その後笑いました。
「騙されてない。大丈夫」
凛と冷えた空気を顔に受けながら自転車を漕いでいると、笑いが込み上げてきた。
騙されていたのは、今までのような気がしたからです。
彼らのNPOは資金も人も足りていませんでした。
だから知識も経験もない私のような者でも、いないよりはましで、いれば仕事はありました。
そういう点では、いいように使われているとも言えます。怒られもしました。
それでも私は年末年始の七日間、毎日ボランティアとして参加しました。
私はなんでここにいるんだろう。と何度も思いながら。
明日から会社か、と疲れた体をベッドに投げ出すと、意外なことに睡魔は襲ってきませんでした。
この一週間で得た情報と経験があまりに濃すぎて、神経が高ぶっていたんだと思います。
天井の蛍光灯の黒ずみをぼんやりと見上げながら、私は満足感を噛み締めました。
楽しかったんだと思います。
仕事始め。息苦しい日常が戻ってきました。
朝礼を終えて自分の席につきメールチェックをしていると、「これよろしく」と大量の書類束がキーボードの上に投げ置かれました。
束は音もなく雪崩となって私の膝上に滑り落ち、折り返すように足元に散らばった。いつものことです。
黙々と作業を続けているといつの間にか午前中が終わろうとしている。
意地でも定時に帰る為、とにかく作業に集中する。集中すれば周りも気になりません。
母が作ってくれたお弁当をデスクに乗せる。
水筒を持ってきているから給湯室に近づく必要もない。
コミュニケーションは最小限にして自分を守っている。
私はなんでここにいるんだろう。
と思いました。
同時に、なぜ今まで会社にいる時、この問いが言葉にならなかったんだろう。
「クソゲーだって分かったら、やめちゃえばいいのに」
という自分のセリフが返ってきた。
開いたお弁当をそのままに、「会社、辞める」という文字を打ち込んで検索ボタンをクリックしました。
「お母さん、私会社辞めることにした」
帰宅してすぐ、鞄も置かずに言いました。
冷蔵庫の中を見ていた母は、いつもより丁寧に、時間をかけて冷蔵庫のドアを閉じて言いました。
「はい。分かりました。すこし、ゆっくりしたらいいんじゃない」
「ありがとう」
就業規則に則り、三週間後に退社。引き継ぎに一週間かけ、残りの二週間は有給休暇を使いました。あっけないものでした。
気が進まないので詳しく言いませんでしたが、私は会社でいじめられていました。日常的に。
ストレスで食べたり吐いたりしたし、髪の毛も抜けました。
両親はそれを分かっていたんだと思います。
母はほっとしたようでした。
母の言葉に甘え、急いで仕事を探さずに、すこし休むことにしました。
数日はごろごろしてテレビを見て、半月遅れの正月休みを堪能しました。
それからは家事を一手に引き受け、お弁当に朝食、両親を送り出して洗濯、掃除と、午前中を駆け抜けます。
慣れてくると十時前には終わり、いつでも一人暮らしできるな、と思いました。
そのまま晴れた日は散歩に出ます。
二月に入ったばかりの頃でした。
数日前には雪が降ったし、最低気温はマイナス五度くらいの日が続いていました。
年越しの「広場」で会ったあの人たちは大丈夫だろうか。
散歩をすると、日中公園や河原に集まっている人たちについ目が行きました。
あれからボランティアには行ってないけど、自分の町を見る目が変わっていることに気付きました。
私は公園のベンチで日向ぼっこしているホームレスらしき男性の隣に、一人分空けて腰掛けました。
老人のようにも見えるけど、四十代くらいににも見える、浅黒く小さな人でした。
「寒いですねー」
ちょっと勇気を出して声をかけた。
「寒いよぉ」
とその人は言った。
彼の周りには荷物が無い。ホームレスと決めつけて話すと失敗するかもしれない。
私は遠くに見えるブルーシートハウスを指して言った。
「ああいう所に住んでる人は厳しいでしょうね、この寒さは」
「厳しいよぉ」
とその人は応えた。
実感を込めて言うからには、やはりホームレスだろうか、と考えていると、ふいに彼を見失った。
いない。
三人がけのベンチの両端に私たちは座っていた。
彼が立ち上がる素振りはなかったし、見失うほどの時間は経っていない。
え、消えた?
私は辺りを見渡します。
風は無く、木々は空に張り付いたように動かない。
公園は静まり返っている。
彼の言葉が耳の奥で木霊したように感じた。
次の瞬間、彼がベンチの向かいに立つ大きなトチノキの幹と同化するように立っているのに気付きました。
いた!
何が起きたのか分かりませんでした。
時間にしたら数秒のことだったと思います。
彼は手を後ろに組んで立ち、無表情で私を見ていました。
ベンチからトチノキまでは五メートルほどの距離です。
その移動の間、私は彼を見失っていました。
感覚としては、ベンチから突然消えて、数秒後、木の前に突然現れたという印象です。
「良かった。いなくなったかと思って」
「いるよ。あんたも、いるな」
「はい、います。はは」
と私はほっとしたように笑う。
彼は滑るような摺り足でベンチに戻りました。
不思議な歩き方でした。
私は日常感覚を取り戻そうと、世間話を再開しました。
「今日はお休みですか?」
「いや」
「じゃあこれからお仕事。あ、それとも休憩中?」
「いや」
「あー……」
「あんたは?」
私は、お休み? いや休憩中か?
自分で質問しておいて分からない。
仕事と休日、当たり前のように日々をこの二つに分けようとしたことに気付く。
仕事の境界線が曖昧な人もいるし、仕事を持つことが当たり前と思うのも考え直した方がいいのかもしれない。
「私は、なんでしょうね、仕事もしてないし、ただ、ぶらぶらしてるだけです」
「俺もだ」
と彼ははじめて笑顔を見せた。
「あんた、食いもんあるのか?」
「え? ああぁ、すいません、今何も持ってなくて」
「俺じゃねえ。あんたが今、食うものあるのか聞いてんだ」
うわ、やってしまった。
彼は日中公園で時間をつぶしている無職の私を心配してくれたのだ。
その彼を私は物乞い扱いしたのだ。
「あ、はい、あります、はい。私はその、大丈夫です。すいません。……すいません、失礼なことを、言って」
「大丈夫ならいいんだ」
「すいません」
「構わねぇよ。俺はあんたが思っているような人間だ」
「そんなことありません!」
彼はきっとホームレスに違いない。
私が否定したかったのは、彼の想像した、私が思ったことです。
彼は私に見下されたと感じたに違いありません。
そしてそれが普通のことであると、彼も分かっている。
でも私は違うんです、と言いたかった。
あれ?
言葉を探しているうちに、また彼を見失った。
消えた。なんで?
私はまたぐるりと公園を見渡す。
いない。
ベンチから死角になっていた木々の後ろも探す。
かくれんぼの鬼にでもなったように、必死に。
「おーい」
返事はない。
乾燥した落ち葉がかさかさと音を立てて風に運ばれていく。
彼を見つけることはできませんでした。
この時、背筋がぞっとしたのを覚えています。
ひょっとしたら幽霊だったのかも、と思ったからです。
凍死したホームレスの霊。
家に帰ってからも、彼の気配を感じるような気がします。
付いて来た?
馬鹿な考えを頭から追い出そうとすればするほど、絶対そうだ、と感じるようになっていきました。
とにかく誰かに話したくて、橋本君に電話しました。
「あー、それ多分、豆蔵さんだな」
「え?」
これが、豆蔵さんとの出会いでした。
豆蔵さんの噂は年越しの時に聞いてはいました。
受付をしていて「豆蔵さんから聞いて」という人が何人かいたのを覚えています。
今年も「広場」があるよという情報を、ネットにも路上のコミュニティにも繋がってない人たちに周知するには、豆蔵さんの力が必要だったそうです。
元旦に顔を出していたという目撃情報が数件ありましたが、私は会うチャンスはありませんでした。
とにかく幽霊じゃなくてほっとしました。
「もしまた会ったら豆蔵さんに聞いてほしいことがあるんだけどいい? 脇坂さんが二週間も姿が見えないから何か知ってたら教えてもらって。言えば分かるから」
「脇坂さん?」
「ホームレスのおばあちゃんなんだけど、いないんだよ」
「うん、分かった」
橋本君と電話を切って、スマホのメモに脇坂さんと打ち込みました。
二日目の遭遇は意外と早く、その三日後でした。
堤防を散歩していると、河原で外国人三人と体操をしている豆蔵さんを見つけました。
体操というか、太極拳のような動きで、豆蔵さんが三人に教えているようでした。
私はそれが終わるのを気長に待ちました。
三人が豆蔵さんにしっかりと礼をして帰っていくので、実は拳法の達人なのかしらと想像し、笑ってしまいます。
でもいきなり気配も姿も消してしまう彼ですから、あながち想像が間違っていないかもしれません。
「こんにちはー」
と私は土手を駆け下ります。
豆蔵さんは目を細めて私を見ています。近くまで来ると「あぁ、あんたか」と口元を緩めました。
「さっきのなんですか? なんか太極拳みたいな。すごいですね」
「ただの体操だよ」
と照れくさそうに言う。
彼が豆蔵さんと分かると、噂でいろいろ聞いているぶん、勝手に親しみを持ってしまいます。
「実は私、ともし火でボランティアやってて、豆蔵さんのこと聞いてました。この前はその、(あなただと)分からなくて」
「あぁ、そう」
豆蔵さんは少し困ったような表情を見せた。
豆蔵さんは必ずしもNPOや福祉事務所と協力しているわけではない。
路上生活者の世話をしているが、彼自身は福祉に頼ろうとはしない。
仕事をしている記録もなく、収入源は謎だ。
そもそも豆蔵という名前も本名ではなく、金輪町に戸籍があるのかも分かっていない。
私は彼が目の前にいるうちに、脇坂さんのことを尋ねた。
「脇坂さんなら、いるよ。大丈夫」
「でも見当たらないって」
「ちょっと見えにくくなっただけだよ。元気にしてる」
「え、その、見えにくくなったっていうのは?」
「隠れてるだけさ」
と豆蔵さんは黄色く汚れた歯を見せた。
どういうことだろう。隠れている……。
人は思考に集中すると目や耳がおろそかになるもので、はっと気付くと豆蔵さんを見失っていた。
さっきまで目の前にいたのに。
ここは開けた河原で物陰と言えば百メートルは離れた橋の下、それか堤防を登って降りるしかない。
注意を逸した数秒間に移動できる距離ではない。
どこ?
探すといないというのは本当だ。
まさか川に。ありえない、この二月に。
それにそこまでして私から逃げる理由がどこにあるのか。
そう、逃げる必要なんてない。
彼が必死に土手を駆け上がる姿は想像できなかった。
私は改めて周囲を見渡した。やはり近くに隠れることができる死角はない。
消えた。
私は途方に暮れて堤防の石段に腰を下ろし、緩やかな川の流れを見つめました。
消えた。
彼は消えたけど、どこかに行ったわけではないのかもしれない。
そんな考えが頭に浮かびました。
豆蔵さんは脇坂さんのことを、見えにくくなっただけで、「いる」と言ったのを思い出したんです。
ひょっとしたら、ここにいるのかもしれない。見えなくなっただけで。
「……豆蔵さん」
と私は河原の広がりに声をかけてみました。
返事はない。
私は目を閉じて耳をすまします。
向こう岸の野球場で練習する子どもたちの声や、堤防の上をランニングする人の足音が聞き取れます。
その中に豆蔵さんの気配を探しました。
「豆蔵さん」
もう一度、呼んでみました。
やっぱりいない。残念。
また「いるよ」って言ってくれるかと思ったのに。
どうやって姿を消したのだろう。
本当に不思議です。
豆蔵さんが消えたことに注意を奪われて忘れていましたが、その時考えていたことを思い出しました。
脇坂さんについてです。
見えなくなった、隠れた、というのは、死んだという意味ではないのか、ということです。
肉体は滅んだけど、脇坂さんはずっとあそこにいるよ、あんたらには見えないだけで、と彼が言っているのだとしたら。
そして見えたり見えなくなったりする豆蔵さんは、その二つの世界を自在に行ったりきたりできるのだとしたら。
次に会った時は質問の仕方を変えてみよう。脇坂さんは生きているのか、と。
私は立ち上がって石段を登った。
登りながら、また夜回りに参加しようかなと思った。
登りきって振り向き、河原に視線を落とすと、水際にしゃがんでいる小さな背中が目に飛び込んできました。
あれは豆蔵さんじゃないだろうか。目を凝らす。
「豆蔵さーん!」
私は大きな声を張り上げた。
その人は立ち上がり振り向いた。私は手を大きく左右に振る。
その人もゆっくりと手を振った。
やっぱり豆蔵さんだ。
やっぱりあそこにいたんだ。私が見えなかっただけで。
探そうとしても見つけることはできない。
なんて不思議な人だろう。
再び土手を下って彼のところへ行こうとも思ったけど、やめました。
この機を逃したら、なんて気持ちで駆け寄ると、きっとまた彼は隠れる。そんな気がしたからです。
私は潔くその場を離れました。今日はここまで。
不思議と、また会えると思いました。
その週末、私は久しぶりに夜回りに参加しました。
橋本君や川端さんたちが思いの外歓迎してくれたことが嬉しかった。
仕事もしていなかったし、次第に生活の中心は、この活動になっていきました。
最初にも言いましたが、どういうわけか私は豆蔵さんをよく発見します。
この時の夜回りでも早速。
彼はコンビニの駐車場、隅っこの車止めの上にちょこんと腰掛けていました。
暗くて顔は判然としませんが、猫背とサイズ感で豆蔵さんだと確信しました。
NPOの仲間と数人、コンビニ前で他の人の買い物を待っている時です。
「あそこの人……豆蔵さんだと思います」
皆は一斉に私が指す方に向けて、目を皿にしたり細めたりしました。
「どこ?」
「誰もいないけど」
豆蔵さんじゃないかもしれないけど、誰もいないってことはない。
「いるじゃないですか、ほら、あそこ」
「怖い怖い怖い。変なこと言うのやめてよ」
どうやら他の皆には見えていないようでした。
私は皆をその場に残し、彼の方へ進みます。
「こんばんは」
と声をかけると、彼は私を見上げました。やはり豆蔵さんです。
「あぁ、あんたか」
私と豆蔵さんが一緒に彼らの待つ明るい方へ歩き出すと、彼らがどよめくのが分かりました。
暗がりから突然豆蔵さんが現れたように見えたそうです。
闇に紛れた黒い霧が人の形になったかと思うと、光を受けて豆蔵の姿になる。
それはまるで、私が暗黒からこっちの世界へ、豆蔵さんを連れ出したかのように。
でも豆蔵さんは、最初からそこに居たのです。
これは全く不思議なことでした。
一回だけじゃありません。皆はいつも、豆蔵さんを見落としてしまうのです。
これは私の確信ですが、豆蔵さんは幽霊でも闇の住人でもありません。
豆蔵さんは存在します。
ただ少し、存在の仕方が違うのかもしれません。
存在の仕方というと大げさですが、要は居方です。
例えばそれは、私が年末に行った微妙なパーティが参考になるかもしれません。
自然に楽しめる人は、空間に馴染んで風景のようになってしまうのに対し、馴染めない人が目立たないように努力しても、逆に浮いてしまうという現象。
ひょっとしたら豆蔵さんは、その空間やそこにあるモノと限りなく馴染んでしまうのではないでしょうか。
コンビニの駐車場の車止めに座った豆蔵さんは、コンクリートの車止めの延長として、皆の目に映っていたのかもしれません。
当たり前に存在するものに特別の意識を払わない私たちは、道端の石ころが昨日と比べて一つ増えたとしても、それに気付くことができないように。
でも私はなぜ豆蔵さんに気付くことができるのでしょうか。
私が生来、日々の些細な変化に敏感な感性の持ち主というなら分かりますが、残念ながら当てはまりそうにはありません。
謎です。
豆蔵さんが自在に人の目や意識から隠れることができるなら、個別に現れることもできるのかもしれない。
だとすると豆蔵さんは私に向けて、存在を開いているのかもしれません。
でもなぜ。少し怖いです。
豆蔵さんは、脇坂さんのことを「隠れてるだけ」と言いました。
もしかしたら、脇坂さんも豆蔵さんの極意をつかんだのかもしれないと思い立ちました。
皆が見失った脇坂さんも、私は見つけることができるだろうか。
その日、夜回りしながら、脇坂さんの話になりました。
持病もある七十歳の女性で、路上生活は十年にもなる。
一昨年の年末に「広場」で医者に診てもらうと即入院となった。
二ヶ月後に退院したが受け入れ先が見つからず、路上に戻ることになった。
その後は公園で豆蔵さんの「体操」に参加する姿が何度も見られ、健康状態は悪くないように見えたらしい。
私は脇坂さんの寝床に案内してもらいました。
廃寺の境内、枯れた黒松を拠り所にして、ブルーシートと材木、ダンボールなどで作られた二畳ほどの住居。
二匹の飼い猫が出迎えてくれました。
明かりは見えない。
一応外から声をかけるが、やはり返事はない。
私は「失礼しまーす」と入り口シートの割れ目に、LEDのランタンを持った手をねじ込み、中をのぞき込んだ。
脇坂さんは中にいた。
小さな体を折りたたむように正座をして、頭を垂れていた。彼女は死んでいた。
名前を呼んで確認する必要は感じませんでした。
脇坂さんがこの一月近く見えなくなっていたこと、そして亡くなってしまったことを、豆蔵さんに聞かなくてはなりません。
翌日から手分けをして豆蔵さんを探しましたが、案の定見つかりません。
血眼になればなるほど、見落としてしまうのでしょう。
私はなるべく何も考えずに、町を散歩しました。
何かを見つけようとせず、ただ見える景色をそのまま受け取るように。
目的も結果も無く、ただ散歩という行為そのものに心を開くように。
これは何の修行かと、笑いが込み上げてきたこともありました。
そんな時、豆蔵さんは私の前に姿を現しました。
私のやり方は間違っていなかったようです。
豆蔵さんは、脇坂さんの死を悲しんでいました。
警察の聴取に応じる気はないようです。警察も彼を捕まえることはできないでしょう。
その後から私は、自分なりに豆蔵さんについて調べ始めました。
彼は一体何者なのか。
NPOでも豆蔵番として認められるようになりました。
最近になって分かってきたのは、あの太極拳のような「体操」、あれに大きな秘密がありそうだということです。
あの体操を通して、人の目から隠れる技を教えているのではないか。
この社会の最底辺に追いやられてしまった彼らを、その枠組みの外へ連れ出そうとしているのではないか。
私たちは、彼らが底辺から這い上がれるように助けたい、そして少しでも社会の枠組みをいい方に変えていきたいと思っている。
でも豆蔵さんは違うことを考えているのかもしれない。
これについては次のレポートで詳しくお伝えできればと思います。