小説「別の道」 一・山鳥三太、曰く

(2020.7.5 updated)

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前川知大

 

 一・山鳥三太、曰く

 

小学生の時のクラスメートの名前を全員あげろと言われて、ぱっと思い出すことができる?
五秒もかからずに、それが無理だと気付くはずだよ。そして半分も思い出せない自分に驚くんじゃないかな。
でも卒業アルバムを開いて集合写真に目を落とすと、覚えている。
僕もそうだった。一人ひとり、思い出すことができる。
時々「あれ、こんな人いたっけ?」となることもあるけど。
まぁ他のクラスメートからしたら、僕がそのタイプではあるんだけど。残念ながら。

 

ダンボール箱の中からは、日記も出てきた。
僕が子供の頃に書いた日記。古いキャンパスノート、それも罫線が広い一〇ミリのやつ。
それに几帳面な字が行儀よく並んでいる。
読み手の心を落ち着かせるような、読みやすい字だ。フォントにしたいくらい。
自分が書いたとは思えない。いや自分の字だからこそ、読みやすいと感じるのかもしれない。

 

読んでみると、卒業アルバムのように鮮烈に記憶が蘇ってくるかと思えば、そうでもなかった。
もちろん、こんなことあったなぁと、その時の感情が湧き上がってくることもあるにはあったけど、全体としては正直、他人の日記を読んでいるみたいだった。
なんとなく寂しさを感じたけど、そんなものなんじゃないかな、とも思った。
だって人ってどんどん変わっていくでしょう。
一〇代なんて、二、三年で心も体も、別人みたいに変わっちゃう。

 

小学生の自分が書いた文章に共感できなくても不思議は無いし、自然なことなんじゃないかな。
十八の僕が偉そうに言うことじゃないけど。

 

僕はお祖母ちゃんに育てられた。両親の記憶は無い。
覚えている最も古い記憶は、バアちゃんだ。バアちゃんと電車を見に行った。川沿いの高台を走る電車を間近で。
想像していたより電車は大きくて速くてうるさくて、とにかくその暴力的な存在感に僕は圧倒された。
怖かった。日常に突然挿入された悪夢のようで、僕はバアちゃんの股に顔をうずめて、吠える鉄の塊が通り過ぎるのを震えて待った。
バアちゃんは笑っていた。ほら、この写真だよ。

 

小学二年生の時にバアちゃんが死んだ。
風呂上がりに扇風機の前で涼んでいる時、いつの間にか倒れていた。
呼んでも叩いても返事をしない。
僕はどうしていいか分からず、扇風機を止めてタオルケットをかけてあげた。疲れて寝てしまったんだろうと思って。
翌朝、バアちゃんは冷たくなっていた。

 

この時の僕は変に冷静で「ほらな」と思ったんだ。
昨夜の時点で、救急車を呼ぶべきだと思っていたのに、おおごとにしちゃいけないという変なブレーキも僕の中にあった。
人様に迷惑をかけちゃいけない、というバアちゃんの口癖が骨身に染みていたんだな。
だから、ちょっと疲れただけさ、という見立てに至ったわけだけど、「ほらな」という第一声が頭の中に響いたってことは、僕はきっと分かっていた。
おおごとになるのは分かりきっていたのに、先延ばしにしただけなんだ。怖かったし、こんな言い方をするとよくないのかもしれないけど、めんどくさかったんだ。

 

でもほら、みんなあるだろ、例えば飲み物をグラスに注ぐ時、全部入るかな、入らないかな、というギリギリのせめぎ合いにあるとするよ。途中で無理そうだなと感じつつも、僅かな可能性を信じて注ぎきると、案の定溢れてしまう。「ほらな」と思う。二回に分けて注ぐことをめんどくさがって、更なるめんどくささを自ら招き入れる。
そういうとこがあるよね、人間ってのは、って言いたいだけ。

 

バアちゃんの死について、責任逃れをしようってんじゃない。
もちろん後悔も感じている。でも日記を読んでも他人のように思える八歳の僕に、僕はそこまで期待しないし、自分を責める必要もないと言いたい。
それにね、もし一命を取り留めたとしても、寝たきりになるのが確実だった。そう思うと、バアちゃんも自分の口癖通りに最期を迎えられたんだから、むしろ僕に感謝してるんじゃないかな。

 

確かに、人に迷惑をかけたっていいじゃないか、という意見もある。
障害者やハンディキャップのある人はどうなる、というのも分かる。
でもね、僕は、そう思ったんだ。
バアちゃんの死について、そう、思ったんだ。
これはしょうがないだろう。僕とバアちゃんの関係なんだから。
それに僕は最初から迷惑な存在だったから、なるべく人に迷惑をかけずに生きようと思うのが処世術になったって仕方のないことだし、できれば僕だってバアちゃんのように誰にも迷惑をかけずにこの世界から消えていきたい。

 

まぁ、バアちゃんにはもう少しだけ、一緒にいてほしかったけどね。
そこからは養護施設。この時期はあんまり覚えてない。
おそらく施設に馴染むのに必死だったんだと思う。ああいうところは、いい奴ばかりじゃないからね。分かると思うけど。

 

ダンボール箱から出てきた真新しい角2封筒には、輪ゴムで纏めた二〇枚ほどの古びた写真と、CDRが一枚入っていた。
一緒にしてあったのをみると、ディスクは写真データだと思う。
芽衣さんのパソコンで中を見てもらったんだけど、データが壊れているのか、読み取りできなかった。
自分で作ったものだろうと言われたけど、覚えてない。中のデータを見たらきっと思い出すと思う。卒業アルバムのように。

 

記憶というのは不思議なもので、いつどこで何をしていたなどと急に訊かれても、すぐに思い出せるものじゃない。
生活のほとんどは、後から思い出す必要のないことにあふれているからね。
多少珍しい出来事も、生活の記憶と一緒に深いところに沈んでいってしまう。検索機能の無いデータベースのようなものだよ。
だからお目当ての出来事を思い出すには、呼び水が必要。写真だったり、言葉だったり、匂いだったり。そういうもんでしょ。

 

さっき出てきた芽衣さんっていう人は、僕の里親のこと。
山鳥芽衣さん。何度か面接して、中学生になった時に引き取られた。
僕は両親と完全に切れていたから、里親の話は他の子供たちより簡単に進んだ。学校の成績が良かったのもプラスになったと思う。
芽衣さんは行政書士事務所で働いていて、ある時養子縁組の案件を扱った。その時初めて養護施設の現状や、養子や里親に関する日本の法制度の問題点を知ったらしい。
芽衣さんは、そこにいる子どもたちの助けになりたいと思うようになったんだ。
こういう人がもっと増えてほしいもんだね。大人の社会見学もビール工場とかじゃなくて、養護施設にするべきだよ。

 

大人の女性と二人で暮らすことに、最初は緊張したけど、すぐに慣れた。
芽衣さんは母親のように振る舞おうとはしなかったから、僕も変に家族のふりをする必要がなかった。そんなのはインチキだし、家族ってのは自然とそう感じるようになるものだろ。
里親から逃げ帰ってきた仲間から何度も聞いたよ。
お父さんお母さんと呼ぶように強制され、やることなすこと否定され矯正される。自分たちの言う通りにならないと気がすまないんだ。
インチキ家族はまるで小さな独裁国家。
それに比べ芽衣さんは、当たりだった。僕にやるべきことを与えてくれて、存在することの後ろめたさから開放してくれる。
家事のシェアと学業、それさえちゃんとやれば自由。問題があれば話し合い。民主的だろ。
経済的には完全に依存してるけど、僕はルームメイトのようなものだった。まぁ芽衣さんの求めるハウスキーピングはレベル高すぎだから、簡単なことじゃないんだけどね。
今は分かるけど、実際はいたらないところだらけだったのを、芽衣さんが我慢してくれてたんだ。

 

それがはっきりするのは、中学二年生の終わりに士郎さんが同居するようになってだ。
士郎さんは芽衣さんの弟で、たった一人の肉親。東京にいたらしいけど、離婚を機に転職を考え、地元に戻ってきたってわけ。
士郎さんは、芽衣さんと同じでとても理性的な人だよ。
自分勝手に感情をぶつけてくることもないし、理不尽なことも言わない。そのぶん理詰めでこちらの退路を断ってくる恐ろしさがある。
怒られたことはないけど、彼が僕の家事に満足してなかったのは明らかで、何度も不手際を指摘された。
夜中に起こされ、ガラスコーティングの黒い冷蔵庫に付着した指紋を拭かされたこともある。
なるほど、これは小姑の嫁いびりの変奏ではないか。
不手際は認めるとして、士郎さんにとって僕が異物であることを思い知った。

 

それでも士郎さんは仕事が決まるまでの間、僕の勉強や進路相談に積極的に付き合ってくれた。
学校の三者面談にも来てくれたし、都心の名門私立高校のパンフレットまで取り寄せてくれた。
「身寄りの無いキミが人生で頼りにできるのは、知識と信頼できる仲間、そしてコミュニケーション力だ」と士郎さんはことあるごとに言う。異論は無い。
そしてある時彼は、「その力を最も涵養できる場所は、ここではないかな」と県外の全寮制高校のパンフレットを僕の前に差し出した。

 

確かに、寮生活はコミュニケーション力を鍛えるだろうし、同じ釜のメシを食う環境は盟友を得るにはうってつけだ。
異論は無い。
しかし士郎さんの本当の目的は、僕をこの家から追い出すことなんだ。
彼は慈愛に満ちた表情で「キミのためだよ」と言う。恐ろしい人だ。

 

望んで里親になった人が、理由もなく里子を追い出すことはできない。
里子が望むか、問題行動を起こした時、あるいは里親の経済状況が悪化するなどした時は、施設に戻すことがある。里親のDVから児童相談所に逃げ込み、施設にも戻れずホームレス化するというケースもある。
そういうのよりは格段にマシな状況だけど釈然としないし、士郎さんが自分の手を汚さないタイプということはよく分かった。
僕は単純に、今の友達と別れたくないんだ。
やっと自分の居場所が出来たのに、県外の全寮制なんて、また始めからスタートじゃないか。何回リセットされるんだよ。
「僕は中学時代の友人なんて、今は一人も付き合い無いけどね」と士郎さんは言う。
そういう問題じゃない。

 

芽衣さんはどう思うの?
芽衣さんも僕を追い出したいの?
家事も掃除ももっと頑張るよ。それに全寮制なんて、経済的にも負担をかけるだろうし、里子の僕にそこまでお金かける必要ある?
ていうか、そもそも里親になったのに同居しなくていいの?
分かんないけど、補助金みたいのもらってるわけでしょ。一緒に住む費用として。いや、違う、ごめん、すいません。その、僕はただ、今の友達と離れたくないし、この町が好きだし、何よりこの家で、芽衣さんと暮らしたい。その、いつか、お母さんと呼べる日も来るんじゃないかって、そう思ってたのに。

 

……どう?
このタイミングで「お母さん」というキラーワードを持ってくるセンス。
その時僕は見逃さなかったよ、芽衣さんの瞳を覆う水分の変化をね。
ざまーみろ士郎、決めるのは芽衣さんだ。出戻りが偉そうにしてんじゃねぇ。

 

すいません、つい興奮してしまいました。
僕はその時、勝利を確信していた。
でもそれは間違いだった。芽衣さんは淡々とこう言ったよ。
里親になったのは、母親になりたかったからじゃない。人生のスタート地点でハンデを負ってしまった子どもたちを、一人でも助けたかったから。
彼女が望むのはお互いに依存するような愛情ではなく、成長と、自立だと。
僕は、お母さんなんて、安っぽく言ってしまったことを激しく後悔した。

 

「士郎の提案は悪くないと思うわ」と言って芽衣さんは口をつぐんだ。
彼女の瞳は乾いていた。
今まで一度も言ったことのない「お母さん」なんていう言葉を持ち出した僕のいやらしさに、彼女は失望したに違いない。
芽衣さんはソファに沈み込み、ぱらぱらとパンフレットをめくった。僕はただ、呆然と立ち尽くしていた。

 

この時僕は、意外なことに気がついたんだ。
僕は心の奥底で、いつか芽衣さんをお母さんと呼ぶことができるんじゃないかと感じていて、そうなればいいなと思っていたってことだ。
そんな未来を無意識に期待していたってことだ。
そうでなきゃ説明がつかない。だってこの時僕はぽろぽろと涙を流していたんだから、自分でも気がつかないうちに。
どこかで期待していた未来に自分でケチをつけた自分の愚かさに、僕は泣いていたに違いない。
「友達なんてどこでもできるさ」と士郎さんは面倒くさそうに言った。

 

ごめん、なんか長くなってしまった。
不思議なもんだね、喋ってるうちに思い出す。芋づる式に。
でもやっぱり、一人で思い出そうとするより、こうやって聞いてもらったほうがいいみたい。なんて言うか、引き出される。
写真や日記、記録、残ってるデータでなんとなく思い出したことが、繋がっていく感覚。

 

どうかな。これでも僕が存在しなかった、なんて言える?
もし僕が本当に、たった一ヶ月前にこの世界に突然現れたんだとしたら、この過去はいったい、なに?
僕を生んだ両親はどうでもいいけど、バアちゃんの存在まで否定することができる? 施設の仲間や、小中学校の友達も。
みんな、確かに存在していた。思い出したんだ。そしてもちろん、芽衣さんと、士郎さんのことも。

 

続けようか?
全寮制高校の三年間と、どのようにして僕が芽衣さんの養子になったのか。正確には芽衣さんが、僕を養子にしたんだけどね。
……やっぱり、長くなりそうだから、続きは明日にしよう。聞いてくれてありがとう。